とくべつな日常

かわいくてかっこよくておもろくて、ちょっぴりえろすな増田さんをmgmgする日々

ストレンジ・フルーツ総括

千秋楽から気付けば日が幾分か過ぎさり、今更かよ!!!って感満載だけど、gdgd書き上げたので一応上げておきますだ↓

 

増田さんにとってターニングポイントであっただろう舞台『ストレンジ・フルーツ』40公演、全て終わりましたね。ほんとうにほんとうにお疲れ様でした。増田さんも座の皆さんも関係者の皆さんも。観劇する方もこんなに疲れる(良い意味で)舞台ってなんて素晴らしいのか。 

前エントリーでも書いたとおり、東京前半に一度観劇してから、20日程空いてからの大阪千葉weeeekでした。一度に感じる濃度がとても濃い舞台ですので、個人的には毎週末に観れる間隔くらいが理想でしたが、こんな短期間の間に千葉くんを過剰摂取出来て本当に感謝感謝です。(其れでも尚足りないけどね!観ても観ても観足りない。何度も、何度でも観たくなる)

 

総括・・・ってほどではないけど、色々と自分なりのストレンジ・フルーツを綴っていこうかと。

 

 始めにこのストレンジ・フルーツのあらすじを読んだとき、もっとギスギスした暗くて冷たさだけが残るお話なのかなぁと思っていました。でも本当はもっと静かで、ゆっくりと心の中に染み渡っていく、優しい作品だと私は感じました。

 色んな解釈が出来る舞台。しかもどれが正しいとか正しくないとか、そういう問題ではなく、どのシーンにどの台詞に誰の想いに重きを置くか、それを自分の中で咀嚼し昇華したい。だからこそ誰かと語り合いたくなる舞台なのかなと。

  

本当に千葉君はどちらのストレンジ・フルーツを作ったのか。それがわたしにとってこの舞台のキーポイントだった気がします。 

私自身、美術の大学に進み、それなりに芸術を学び、千葉君やカナ、ハリーがくらま先生の下で指導を受けたように私もそういった環境の下、作品制作をしていた時期がありました。(もう「一般人」だけどね)だからこそ響くものや痛いほど突き刺さる言葉、感情もあったのは確か。 

1回目の観劇後、死体をアートとするストレンジフルーツを想像したとき、なぜかオノヨーコの『カット・ピース』を思い出しました。死を題材にしているわけではないけれど、第三者に衣服をカットさせていく、その一人では出来ないアートとして自分の中で繋がるものがあったのかなぁと。

といっても前衛芸術についてはあまり学びもせず深い知識はないので、ドヤドヤァっていう感じで上手いことは言えないんだけどね・・・

 

端的にいうと、個人的考えとしては千葉君はくらま先生が考案したストレンジ・フルーツを制作したのではなくハリーの考案した『そっちの』ストレンジ・フルーツだったのかなと思っています。

くらま先生のことを尊敬して、くらま先生になりたかった千葉君。だからこそ先生の作ったストレンジ・フルーツを自分も作りたい。でもアーティストとして、現行作品と全く同じものを作っても、それは唯の模倣作品でしかなく、千葉君の作品には成りえないと思うのです。制作者が違えば全く別の作品になるかもしれませんが、芸術家、作家、アーティストであるならばどこか自分らしさを表現したいと思うんじゃなかろうか。。。

ハリーとの最後のやり取りで必死に否定していた、死ななくていいストレンジ・フルーツ。けれど、プロジェクションマッピングで表されていたのは、去っていったメンバー含めての作品であり、それはハリーの考案した『そっちの』ストレンジ・フルーツを象徴している。あと、CHAPTER #4の映像で地面からナイフが吸い寄せられてくのだけど、あれは逆再生の映像なわけで。ということは千葉君は最終的にナイフを捨てた。と私は解釈しました。柘榴を切り刻む画もありますが、千葉君は心臓の代わりに棺桶の中に入れた。カナの『誰にも見せたくない』心臓ではなく、熟した紅い柘榴を心臓に見立てて作品とした。・・・んじゃないのかなぁなんて。

ハリーの『設計図』ってのが引っかかるんだけどね。一時的な仮死状態にする方法とか、色々考えちゃった。

 

 そのほかの疑問点も多々。

くらませんせいとくらまかえでさんとは籍は入れてないのに同じ苗字

千葉君とカナが夜中アスレチックで遊んでいたのを知っていたくらませんせい

って色々考えてたけど、おぐりんが色々吐露しちゃうからもう自分の中に留めておくだけでええか!と思ったYO!

 

あと、チッスシーンね!初めはこれはちょっと子供騙し・・・って思ってたけど、やはり増田さんは千葉君な訳で。一番えろいパティーンだったけど、アイドル増田貴久としても俳優増田貴久としても、あれは大成功じゃなかったのかと・・・!!!
(らこちゃありがとYO!!!)

 

はてダの方にも書いたけれど、やはり増田さんの人柄に適うものはないなとひしひしと感じられた1ヶ月半でした。共演者とか関係者のツイやブログで語られる増田さん話にいつもほっくほくして幸せいっぱいだった。仕事仲間から漏れ聴こえるますたん武勇伝を想像すればするほど、ほんとこの人を好きになって良かったと思う。てか、こういう方だからこそ好きになったし、今もきっとこれからも好きでいるんだろうなと思う。

 

最後客席に背中を向けて拳を突き上げて解放された増田さんをみてこの舞台は彼にとって本当に大きくて重くてでも大事なものだったんだろうな、と。そしてその舞台の空気感や時間を共有出来たことが幸せで堪らんです。

 

こういう役のテレビお仕事まってるぞい

 (HDDにじたんのきすしーん収めたいんや)